スポーツの体罰について考える

このご時世、さすがに体罰なんてのは減ってきてると思いますが、たま~にニュースで目にします。今日もネットのニュースで流れてました

いつも私が言ってることなんですが、「罰」は悪い事をした相手に行うものであって、スポーツでミスすることは悪いことなんでしょうか?
例えば私が誰かにボイトレを教えてて、「音を外した瞬間にブン殴る」と言っても、体罰で許されるんでしょうか?(笑)

犯罪者に対する刑罰は社会に必要だと思います。じゃないと社会秩序が乱れるんで
でも、「殴られる刑罰」って日本にありますかね?まぁ死刑はありますけど

子供が重大な悪事をはたらいて、親が殴るのはあると思いますが、それは罪を犯したからです
スポーツや勉強の指導って犯罪の現場ですか?
根性論だけで運動能力がアップする訳じゃないし、論理的で科学的なアプローチをしないのはコーチの怠慢です

佐山聡の格闘技道場の映像で、竹刀でバンバン生徒を叩きながら練習してる動画がありました
佐山氏は「アドレナリンを上げるため」「限界まで追い込むため」と言ってました
まぁ自分の道場なんだから、どんなやり方をするかは自由です。生徒も納得して通っているのでしょう
でもこれは「体罰」よりも「アドレナリン・コントロール法」とか「バイオレンス・モチベーション・ブースト(笑)」とか、特殊な指導として呼んだほうが良いと思います
別に生徒は罰を受けるような悪事を行ったわけじゃないですからね
(ちなみに佐山氏は生徒がケガしないように竹刀の強度を柔らかく調整してるらしい。できれば竹刀なんか無くても自分でモチベーションを上げていけ。と言っている)

ブン殴られるにしても「モチベーションをコレで上げるんだ!」と思うか、「ミスして殴られてしまった」と思うかで、全然気持ちは違うと思うんです
スポーツの現場の暴力は「ミスして殴られた」的なネガティブ感情がほとんどでしょう。むしろモチベーション下がります
アントニオ猪木の「闘魂注入ビンタ」は自ら好んで殴られてるので、体罰や暴力とは違います。
座禅で叩かれるのも、本人が希望してれば良いでしょうが、ムリヤリ座禅させられたらネガティブ感情しか生まれないと思います

つまり、「自分から望んで暴力的な刺激を求める」なら良いのですが、他人から強要されたらダメだよね。と

そもそもモチベーションを上げるのに、誰かに叩かれなきゃダメなの?と思います
竹刀で叩かれなきゃ頑張れない生徒なんて、強くなれないんじゃないでしょうか?
スポーツを辞めた後はどうなるんでしょうか?永遠に誰かにケツ叩いてもらうんでしょうか?

ちなみにジムで筋トレやるときは、だれも自分のケツを叩いてくれる人はいません
みんな自分で自分のケツ叩いて、限界までトレーニングやってます

自分から進んでやる」のか?「誰かにやらされる」のか?
自発性がない人間は社会に出てもダメでしょう
体罰に耐えたとしても、それは誰かの命令に従うだけの指示待ち人間です


ダウンタウンの浜ちゃんが、体罰がバリバリ厳しい学校にいたらしいです
浜ちゃんは人生で成功していますね
じゃ、他の生徒は?みんな成功してるんですか?

成功した人間は「あのときの体罰のおかげで今の自分がある」と言ったりします
もちろん、そういう人間もいるでしょう
でもそれが、あなただけじゃなくて全員に当てはまるんですか?と聞きたい
体罰があろうと無かろうと、関係なく成功したんじゃないの?と
体罰に耐えたことを「無駄」と考えたくないから、無理に「良い体験だった」と置き換えてるように感じます

「あの学校は厳しい体罰指導してるからスポーツに強い」
っていうのも、その人の思い込みで根拠がありません
他の方法で、もっと良い結果が出るかもしれない訳です
(逆に根性論で良い結果が出る可能性もあるので、全否定はしません)

で、何が一番気に入らないかと言うと、体罰やってる指導者は、自分より弱い相手にしかやらないんです
要は弱いものイジメなんです。会社のパワハラも上から下ですね

会社の業績が悪いとする。会社のトップは社長だから社長の頑張りが一番大事
本当に体罰が効果あるなら、社員全員で社長をブン殴れば良いんです
社長のアドレナリンUP、モチベーションUPで業績UPですよ
体罰を使うなら、上にも下にも使いましょう

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